第12章
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「「ケイ」がつく黒ずくめの男の子? さあ、どうだったかな。うちの病院、患者数多いですからね。いたとしても覚えてないですよ。……その子がどうかしてんですか?」 不審そうな顔で逆に聞き返され、月見里は言葉に詰まった。 「いや……」 「なんでもないなら患者のプライベートに立ち入るような行為は慎んだほうがいいですよ。その、最近ちょっと、月見里先生が男の子を捜してるっていうの、噂になってきてますから」 神経科の後輩は眉を顰め、気遣わしげな顔をする。嫌味ではなく本心からの忠告だと知って、月見里は困った顔で首をかしげた。 「ああ……そんなに?」 「それなりに、ですけど。でも、噂って怖いですから」 「だよなあ」 落ちてきた横髪から枝毛を見つけてため息をつくと、声を出して笑われてしまった。気楽でいいな、と思う。 「まあ、もし心当たりができたら教えてくれよ」 「月見里さん」 咎めるような視線を躱して、片手で拝む。 「頼むよ。事情は言えないけど、どうしても会わなくちゃいけないんだ。会って、話さないと。じゃなきゃ僕は、自分が許せなくなる」 言葉にしているうちに真剣になっていく月見里の表情に気圧されたような顔をしながら、それでもうなずく後輩の肩を叩いて、月見里はその場を後にした。 夜勤明けのため、そのまま病院を出てマンションに帰る。そこで夕方まで仮眠を取り、月見里は夜の街に出た。 初めてケイに出会ったショットバーを中心に、少しずつ捜索範囲を広げていく。 (今日も会えそうにないな) 三軒目の店でウイスキーを舐めながら、月見里はあからさまにため息をついた。カウンター席に座っている髭のバーテンが不思議そうな顔をしたが、構っている余裕はない。 月見里は男娼が集まったり、裏で売春の斡旋をしているような店を選んでケイを探していた。自分の言葉にショックを受けたケイが男娼から足を洗ったとは、夢にも思っていなかった。 そのため、昼間はダイニングレストランとして店を開け、女性客も多い「SALA」で働くケイとすれ違ってしまうのは、当たり前のことだった。 店にはごく低い音量で、最近売り出し始めた女性シンガーの歌声が流されていた。そこいら中にいる人待ち顔の男娼や、それを物色する男たちの吐く息で、店の中が曇っているような気がした。 少し前までは自分もあの中の一員だったのに、今はもう、あの頃の自分がどんな空気を吸っていたのか、月見里には思い出せない。ふいに襲ってきた倦怠感は、酔いのせいだけではないのかもしれなかった。 たかが男娼一人に、なにをムキになっているのだろう、と自分でも思う。仕事先に不審がられ、自分の立場を危うくする可能性に目を瞑ってまで、どうしてケイに会いたいのかと。 ウイスキーの甘い匂いを吸い込みながら、月見里は薄暗い店内に視線を走らせる。ヘタなスパイのような行動がすっかり板についてしまった。それをしながら、ぼんやりと考え事ができるくらいに。 「たかが男娼」。 あの夜ケイにぶつけた言葉で、月見里は自分に問いかける。 思い出は美化される。今目の前で客を取っている青年たちと、ケイのどこが違うというのだ。 金のためなら簡単に足を開くし、金額を積めばアブノーマルなプレイも厭わない。強かで、けれど自分の体をボロ雑巾のように扱って、人の言うことなど聞きやしなくて。ただの男娼より数倍厄介で、手懐けるのに金もかかる。全然違う。全然、ケイのほうがいい。ケイが、いい。 (名前で呼びたい) グラスに半分ほど残っていたウイスキーを一気に空けて、月見里はうつむく。長い横髪に隠されて誰からも見えないのをいいことに、泣きそうに顔をゆがめた。 ケイは、ひどく遠慮をする子だった。 強気で甘え上手なくせに、本気で手を差し伸べると萎縮してしまう。セックスをせずにただ会うだけで金を渡す夜は、いつも不安そうな顔をしていた。 「チェックお願いします」 時計を見ると深夜を過ぎていたが、まだ少し他の店を回ってみるつもりで、月見里は腰を上げる。会計を済ませていると、入れ違いに泥酔した様子の男が数人、店へと入っていった。横目でそれを見ていた月見里は、中でも特別足取りのおぼつかない男が他の男にすがり付いてなにやら懇願し始めたのに気づいてそちらを見た。 「頼むよ、金はすぐ持ってくるから」 「ダメだ。支払いはキャッシュのみ。そんな常識もわかんねぇくらいイカれやがって」 足蹴りにされ床に転がった男だが、恥じる様子もなくなおも食い下がる。 「ど、どうしてもほしいんだっ! 今くれたら二倍の値段を払うからっ、な、頼む……」 「うるせぇよ。ったく、いつもの金づるはどうした。さては、おまえのために何でもしてくれるコイビトにまで、とうとう愛想つかされたな?」 ぎゃはは、と下品な声で笑う男たちに眉を顰めて向けてわけを問う月見里に、会計を担当していたマスターが頭を下げる。 「すみません、不愉快なものをお見せして」 「いえ、それはいいんですが。酔っ払いですか?」 「まあ、似たようなものといいますか……ジャンキーと売人ですよ。最近はこの辺りにもあの手の人間が増えてしまって」 「それは……」 薬物依存に陥る人間というのが、月見里には理解できない。はっきりと危険だとわかっているものにいちいち手を出し、あげくやめられなくなって破産していくなど、自業自得もいいところである。 はっきりそれとわかるほど不快な顔をした月見里に、マスターは慌てたようにとりなす言葉を口にした。 どこまで深くかはわからないが、あんな人間の出入りを容認しているのだから、店としても何らかのかかわりを持っているのかもしれない。 (厄介ごとに巻き込まれないうちに、退散したほうがいいか) そう思い今度こそ店を後にした月見里の耳に、先ほどの男の声が聞こえてきた。 「わかった。蛍也を、好きにしていい。だから早く、薬をっ……」 (「ケイ」か……) 嫌な符丁だとは思ったが、月見里の頭の中でその名前がケイと結びつくことはなかった。彼は薬代として売り渡された男の恋人にただ同情しながら、その場を後にした。 *** 「SALA」の事務室でケイは、困ったように自分を見つめる沼津と対峙していた。 「コーヒー、淹れてあげようね」 「いえ、別に……」 「いいから。ちょっと休んで、それからもう一度考えてみよう」 「はあ」 いくら考えたって結果は変わらない。 心の中でそう思いながらも、ケイは素直にうなずく。 沼津が言いたい言葉が、ケイにはわかっていた。それが自分を気遣ってくれるからこその言葉であるということも。 「一週間働いてみて、フルタイムで働くことがどれだけ大変かはわかっただろう?」 ケイはこくん、と首を上下させる。 その言葉に従うわけにはいかないけれど、沼津の心配してくれている気持ちだけは、本当にありがたいと思う。 「でも俺、どうしてもお金がいるんです。それにたぶん、そんなに長い間じゃないから。必要なお金がたまれば、こんな無茶な事はしません。だから今だけ、目いっぱい働かせてください」 膝の上で握られたケイのこぶしが、きゅっと握り締められる。白く滑らかだが、肉が少なくて少し骨ばった手。この一週間で少し痩せたかなと、沼津は思う。 「そんな決意をさせるために、一週間の条件を出したわけじゃないんだけどなあ」 必死なケイの様子に無下に断ることもできなくなってしまい、沼津は困った顔で口鬚を撫でた。 沼津はケイが、今までどうやって稼いできたのかを知っている。正直初めは、ウエイターの仕事などいくらも保たないだろうと思っていた。 それは別にケイを侮っていたからというわけではなく、ごく自然に、そういうものであるからだ。一度楽な儲け方を知ってしまえば、飲み屋のアルバイトなど馬鹿馬鹿しく感じるのが普通だし、むしろそれが当たり前だ。 「お願いします」 沼津は自分に向かって下げられたケイの頭のつむじを眺めながら煙草を銜える。未成年のケイに遠慮して、火はつけない。 そして、そんな自分の無意識の気遣いの中で、忘れかけていたケイの年齢を思い出した。ケイはまだ、幼い。普通なら親に守られた安全な場所で生活できるはず年なのに、どうしてこんなにも追い詰められているのだろう。 男娼をしているというからこらえ性がないだろうと思っていたら、想像をはるかに超えて辛抱強い。またそれだけではなく、ケイは仕事慣れをしてもいた。働くことが初めてとは思えないほどに。 たった十八歳の少年が、すでに社会に押しつぶされかけているのかと思うとやるせなかった。 「どんなにがんばっても、体を売るほどのお金を稼ぐ事は難しいよ?」 「……はい、わかってます」 白い頬をわずかに染めて、それでも強い瞳でケイがうなずく。それを見た沼津は大げさにため息をついて、肩の力を抜いた。 「できるだけお給料を上げてあげる、っていうのではダメなんだね?」 「ごめんなさい」 「謝らなくていいさ。君に楽させてあげるだけの甲斐性が、僕にはないってだけだから」 「店長?」 きょとんと首をかしげる仕草がふいに年相応に見える。この不安定さは、ケイの魅力だ。脆くて、強い。普段は守ってやりたいと思うのに、ある日突然ひねり潰してしまいたくもなる。 本人にとっていいことかどうかはともかく、男娼としては大きな強みだっただろう。 「辛くなったらいつでも言うんだよ。あと、仕事中に具合が悪くなったときも。がんばりすぎないこと。これを約束できるんなら、もうしばらく様子を見よう」 「はいっ」 ぱあっと顔を輝かせて、ケイがうなずく。ずっとほしかったおもちゃをプレゼントされた子供のような顔。だがケイがもらったものは、限度を超えた労働時間だ。 「じゃ、今日はもう帰って。明日からまたおいで」 「え? 今日は?」 「せめてもの気遣い。一日ゆっくり休みなさい。これは譲らないからね」 はあい、と子供のようにうなずいて立ち上がる頼りない背中を、沼津は心配そうに見守った。 一方外に出たケイは、冷たくなった風を頬に感じてぶるりと震えた。 (なんかおいしいもの買って帰ろ。鍋とかいいなー) 明日からはたぶん、忙し過ぎて丹野に会えない日が続く。その前に、楽しい思い出をいっぱい作ろう。 ふらりと入ったスーパーで、牛肉の安売りをしていたことがうれしかった。治療費がたまるまでには少し時間がかかるから、丹野にはせめて滋養のあるものを食べてもらいたい。 すっき焼き、すっき焼き。そんな他愛もないことを歩くリズムに合わせて口ずさみながら、ケイは両手に買い物袋を下げて赤錆びた階段を昇った。 「ただいまっ」 今までそう言って期待通りの返事が返ってきたことはなかったが、ケイは明るい声を出して部屋をのぞく。だが。 「おー、やっと帰ったか。待ってたぜ」 返ってきた声は、ひどく健全なものだった。 「なんだ、結構かわいいじゃん。丹野のコイビト」 ただそれは、丹野の声ではなかったけれど。
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